2021.03.05 お寺の豆知識
御祈祷の神様といわれる鬼子母神様ですが、「神様なのになんで鬼なの?」など、
意外と生い立ちについては知らない方も多いと思うのでまとめてみました。
鬼子母神は「きしもじん」または「きしぼじん」と読み、サンスクリット語で「ハーリーティー」と発音します。訶梨帝母(かりていも)や歓喜母(かんぎぼ)という言われ方もする御祈願の神様です。
鬼子母神はその昔、毘沙門天の部下に位置する「般闍迦(はんじゃか)」の妻で、
500人(一説には千人万人とも)の子の母であったのですが、鬼子母神の名の通り、
「鬼」として人間の子を捕えて食べていました。そのため多くの人間から恐れられ避けれていました。
しかしながら、困った村人はお釈迦様にどうにかならないかと救いを求め、
お釈迦様は托鉢修行の時に、鬼子母の出払った家を訪ね、もっとも可愛がっていた末子を鉢に隠して連れて行きました。
托鉢から帰ってきた鬼子母神は世界中を7日間必至に探し求めたが見つからず、
ついに居てもたってもいられず、お釈迦様のもとに来て子供の行方をお尋ねになりました。
するとお釈迦様は「おまえには沢山の子供がいるのに、ただ一人を失ってもこんなにも悲しみ、苦しいだろう。
ところが世間の人々は1人の子、あるいは2、3人であるのに、事故や事件によって子供を亡くしているのだ。
しかもおまえは その大切な子供への悪行をしたではないか。と厳しく誡めた。
鬼子母神はこの時、やっと自らの悪事の罪をさとり、我が子(賓伽羅)が戻れば二度と人の子を殺さないと悔いたのである。
お釈迦様の言う事を理解し、真の懺悔(さんげ)ができた鬼子母神は
「わかりました。これからは人の子供をさらいません」誓い
「また、私は人々の子供も自分の子供のように守護します」と
改心すると鉢の中から末の子供が現れました。
そして、末子(賓伽羅)が帰ってきた鬼子母神はお釈迦様が住む霊鷲山(りょうじゅせん)から帰り、そしてこれからは、仏法の守護神となり、子供と安産の守り神となったのです。
というのが鬼子母神様のあらかたの由来です。
鬼子母神様は法華経というお経の第26番目の「陀羅尼品」の中に出てまいります。
十羅刹女という10人の伴った神々と共に仏教を守護する神として誓願を立てられる場面があり、下の呪文を唱えられ、いかなる鬼神や病、恐れ誘惑から仏法を信ずる人を守ると誓われたのです。
『妙法華経陀羅尼品第26』
「伊提履いでいび、 伊提泯いでいびん、 伊提履いでいび、 阿提履あでいび、
伊提履いでいび、 泥履でいび、 泥履でいび、 泥履でいび、 泥履でいび、 泥履でいび、 楼醯ろけい、 楼醯ろけい、 楼醯ろけい、 楼醯ろけい、 多醯たけい、 多醯たけい、 多醯たけい、 兜醯とけい、 泄醯とけい」
鬼子母神様の仏像には鬼のお顔をしたものや、角が取れて合掌されたお姿のもの、子供を抱いているものなど種類があります。
鬼子母神様の改心の過程において沢山の仏像がつくられたのですね。
「鬼面仏心」という言葉がありますが、まさに鬼子母神様の表すところではないでしょうか。
御祈願の世界でも、早いお経や喝を入れるために大きな声を出しますが、
やはり根底には相手に良くなってほしいという「慈悲なるほとけ心」をわすれません。